1月29日 17:22 フォームを送っていただきました方へ
あのようなオスマン小話を面白いと言って頂きありがとうござます。
全く需要が無い分野で妄想を綴ってしまった〜と実は反省しておりました。
自分でも、他のサイトさんではお目にかかったことが無い分野だ・・・と思っておりましたが、
素直に自分の欲求のままに書き綴ってしまいました(笑)
また機会がありましたら、歴史捏造妄想話を綴ってみたいと思います。
イェニチェリのカザンは底が平たい中華鍋ならぬ、ピラフ鍋と言ってもいいのだと思います。
(他にも、スルタンへの意思表明の合図として打ち鳴らされるために使ったようですが)
十三〜十五世紀にアナトリア地方に侵入してきたモンゴル民族からもたらされたのが米食の始まりで、
マフメット二世の時世ではまだ歴史が浅かった米食ですが、すでに宮廷食として欠かせぬものとして、
スープと共に食されていたとの記録があるようです。
(ある日のメニューはピラフ七種、スープ類は四十種近くあり、他の美味しそうなメニューも載っています)
香料で香りづけまでされ、女性陣は薔薇の香りがついたピラフを食べていたとか?
オスマンを代表する料理ですので、おそらく味もそれなりだったのでは?と思います。
当時のピラフスプーンの写真も手元にありますが、貝で作られたスプーンに銀の柄、そこにはトルコ石と
ルビーが散りばめられ、先にはダイヤで作られた小さな薔薇がついています。本当に豪華です。
しかし・・・オスマンは小皿に取り分ける文化がない帝国。
カザンに作ったピラフ(あるいは大鉢に盛ったピラフ)を
皆がそれぞれ手に持ったスプーンを突っ込んで、群がって食べていたそうです。
(スープも然り・・・きっと凄い光景!)
おそらく旦那もデヴシルメに居た頃は、鍋or大鉢に盛られたピラフに
皆と一緒にマイスプーンを突っ込んでガフガフ食べていたと思われます。
(想像するとかなり楽しい光景です〜そんな旦那を見たら笑っちゃいそう♪)
最近ここは歴史妄想捏造小説サイト?な気もいたしますが、楽しんでいただけましたら幸いです。
寒く厳しい季節ですが、お風邪などめさりませんように。
うれしい一言を頂き、ありがとうございました。
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