クロイツェル・ソナタ その8
ヘルシングが果たすべき責務がそこにあるかもしれない・・・・・・と、謂うのだったら、例え自分に不向きな夜の仕事だろうと、それについて何の不満を言う気もない。
その一点では全くぶれるところがないインテグラは、溜息をついて仕事に向かうことはなくなっていたが、店に行く度に、父親の言葉を思い出さずにはいられなかった。
父親が「安心していい」という人物であれば、化け物殲滅の心得はかなりのものなのだろう。
だがああ言うからには、当然、機関員ではない筈なのだ。
アーサー・ヘルシングの要請で、ここに吸血鬼が現れたら殲滅する約束にはなっているのだろうが、きっとヘルシング機関へ定期的な情報連絡を入れる事などその人物はしていないのだろう。
何かこう――かなり扱いにくいか、あるいは手に余るようなそんな人物で、店のオーナーもしくは父親自身がその人物に何かしらの不安要素を抱えているからこそ、自分がここに置かれたのだ。
だったらその人物は、安心してはいいが、信頼には足りぬ相手な筈だ。約束を交わしているのはアーサー・ヘルシングであり、それ以外の人物の頼みごとや要請には聴く耳を持たぬ――恐らくそう言う事なのだろう。
――であれば。それは誰か?
インテグラは店の面々を見ながら考える。
だが、どの男も皆、見目の良さや女に対する人当たりの好さの影に百戦錬磨の狡猾さを隠していて、一筋縄ではいかない扱い難さを秘めている。怪しいと思えば、誰も彼もが怪しい。
「でもなぁ~そんな事を考えても如何にもならないよな。」
父の言葉を思い出さずにはいられないのだったが、引きずっても仕方が無いことを考えるのを嫌う彼女は、それが誰であるのか探ることをさっさと放棄し、自分のやるべきことだけを考えるのだった。
午後ミーティングがあったらしく、ホストたちは早めに出勤していたらしかった。
最近、接客の席に着くことも多かったインテグラだが、基本、内勤と云う計らいになっている彼女は、言われているより少しばかり早い時間に出勤し、前日の処理を終わらせるため事務室に向うのだった。
ミーティングがある時はパーテーションで区切られて使われる、事務室と兼用されるその部屋にインテグラが入ろうとしたとき、ちょうどミーティングを終えた男たちが出てきた。
「よう、インテグラ。おはよう。」
最近ではハインケルと同じくらい言葉を交わす機会が多い、長い髪を三つ編みにしたフランス男がトロリとした質感の生地のオフホワイトスーツ姿でインテグラに声を掛けてきた。エメラルドグリーンと言う派手な色合いのシャツを着ているにも係わらず、この男はそれが瞳の色に映えて良く似合っている。
この男は派手に見えても、いつも砕けすぎない洒脱な着こなしをしていて、隙のない着こなしのインテグラの服装とは対照的だった。
「おはようございます、隊長。」
何故か皆に『隊長』呼ばわりされているこの男を、最近はインテグラも『隊長』と呼んでいた。
この男は、我を通す主張が多い個人プレイが好きなここの連中を、その気にさせて纏めるのが巧みなのだ。自分の弱さを「弱い」と口に出して言ってのける強さと狡猾さがこの男にはあり、それがこの男が慕われる素地になっている。そう言う所が『隊長』の由縁なのだろう。
「今日は稼げそうな客が来る。この前来た時にお前さんを見て気に入ったようだったから、今夜はヘルプを頼みたいんだ。ハインケルには電話で話をしてある。―――そのぉ~、あれだ、今夜は旦那からの依頼は入ってないんだろう?」
隊長が最後の方をちょっと小声で付け足したのに、インテグラは、「はい。今のところは。」と頷いた。
フランス男が言った「旦那」と云う言葉に、漆黒の「魔がしい」と形容してもいいような冷たく妖艶なあの男の顔を脳裏に思い浮かべたインテグラは、心の中でチッと小さく舌打ちをする。
この店のトップのあの男は、本当に強引で横暴で。インテグラの仕事が長引くことばかりを仕出かしてくれるのだ。
あの男のヘルプに駆り出されれば、当然内勤の仕事に響く。なのに内勤のハインケルに事前にヘルプの話を通すこともしない。店を閉めてからハインケルの手伝いをして内勤をこなせば、何より自分の帰りが遅くなる。
それなのにあの男は、インテグラにヘルプを頼んだ日には、必ずここで彼女の仕事が終わるのを待ち、自分のタクシーに乗せて自宅まで送るという、尊大な王様の気まぐれを発揮するのだ。
インテグラにとっては、理解しがたい、次の行動が読めない、厄介なことこの上ない人物なのだ。
顔にその不満を出したつもりはなかったが、あの男を思い出しただけで、自然と口が一文字に硬く引き結ばれてしまう・・・・・・そんなインテグラの歳に似合わない苦い顔つきを見たベルナドットは、片頬を引き上げた。
「そう嫌がるな、坊や。旦那のようなトップに可愛がられるのは、この世界では色々と役に立つ。
それにあの人は、普段は他人を懐に入れる真似なんかは、絶対にしないんだ。インテグラ、お前さんにヘルプを頼んであまつさえ家まで送ってくれるなんて、今までなかったことだ。かなり気に入られてる証拠だ、喜んでもいいんじゃないか?」
――でもなぁ~、俺だったら勘弁してもらいたいけどな・・・・・・
心の中でそう付け足したらしいベルナドットの皮肉気な笑いを見て、ここでも坊やの呼ばわりされたインテグラは、口元をさらに冷たく引き締める。
そんな頑なな態度の新人の同僚を軽口でいなしたベルナドットは、「上玉の客ばっかだもんなぁ~~!それを血も涙もなく搾り取るんだから。そりゃ、成績良いわけだよな~、旦那は!」と、少しばかりボヤいて見せたのだった。
その時だった。
事務室で低い物音のあとに悲鳴が続き、それに続いて無機質なものがひっくり返って何かにぶち当たる音がした。
どう考えても、最初の低い音は肉を打つ音。その後に続いたのは椅子がひっくり返る音に、置かれているスチール書庫に何かがぶつかる音だった。
「――――――ッ!?」 その嫌な気配を耳にしてインテグラは眉を寄せる。
「舐めてんじゃねぇぞ!」という冷たい声の罵声が続き、さらに人の肉を打つ音と悲鳴。うめき声。・・・・・・マクスウェルの『指導』なのだろう。
生命の危機と常に隣り合わせの部隊であれば、どうしても身体に叩き込まなければ、それが死と直結する厳しさもあろう。だが、この夜の世界で身体を痛めつけてまでしなければならない指導など、果たしてあるのだろうか?とインテグラは眉を寄せる。
力の強い者が、力の弱いものを支配するのは世の条理。どう足掻いてもそんな現実に支配される仄暗い世界に砦を構えるのが、ヘルシングであり、己はそのヘルシングの後嗣でもある。
しかしどう考えてもこれは制裁・・・・・・あるいは私刑と言っていい。そんなものがここで横行することが、彼女は我慢ならないのだ。
氷壁のような冷たさの中に全てを焼く炎を内包しているヘルシングの娘は、「おいっ、待て!放っておけ、インテグラ!!」と、肩をつかんで止めようとした隊長の手を払って、うめき声がと冷たい罵倒が響く部屋に入って行ったのだった。
会議室は騒然となっていた。
元々、そりが合わない二人だったのは誰の目にも明らかだった。だが、どうしてここまで派手なことになったのか?と、出勤してきたハインケルは、室内を見て唖然とした。
マクスウェルも筋骨隆々というタイプには程遠かったが、さらにそれよりも華奢に見えるこの新人に、どうしてそんな力があるのだろう?―――ハインケルはどちらも譲らない取っ組み合いに突入していたその争いを見て、意外なものを見るように唖然としていた。
誰も止めに入る者が居ないのは、半分面白がっているのと、それから仲裁に入って顔でも殴られて傷がついたらたまらないという思惑があるのだろう。
取っ組み合っているふたりは、一応理性らしきものは残っているようで、お互い顔に手を上げるのは避けているようだったが、それでもこのヒートアップ具合ではどうなるかわからない。
オーナーの知り合いだと言うインテグラは、それなりに育ちのいい家庭の、それに見合った教育が施された喧嘩なんぞしたことがない世間に疎いお坊ちゃんだと思っていたのだが・・・・・・
少年の肢体に近いその新人は、予想外に喧嘩の仕方を心得ているようで、しゃがんで身をかわしながら足でマクスウェルの長い脚を掬い上げ彼を転倒させたときには、会議室を覗き込んでいた数人から歓声と拍手が上がったのだった。
しかしこのままでは・・・・・・ハインケルは眉を顰めて、荒れた部屋に踏み込む。
「マクスウェル!!止めてください、大人気ないですよっ!インテグラも!止めなさぁーーいッ!!」
ハインケルが大声を振り絞っても、ふたりの耳には入っていないらしい。あるいは入っていても止める気がないのか。
インテグラから転ばされた拍子に腰と背中を強く打ったらしいマクスウェルがよろりと立ち上がりざま、不敵な口元をして彼を見下ろしていたインテグラの長い髪に、その節ばった指先をかける。
乱れて拠られたようになっていた冷たいプラチナブロンドのひと束を掴んだマクスウェルは、それを無情にも力を込めてグイッと引っ張り、インテグラの頭を引き寄せた。
それにはさすがに強情っぱりのインテグラも辛い表情を作る。
そんなインテグラの華奢な身体を、髪を引っ張って引寄せたマクスウェルは、そのまま掴んだ頭部をスチールの書庫に思いっきり打ち付けた。
ガンっと硬質な音が響き、続いて掛けていた眼鏡がカタンと音を立てて転がったあと、インテグラが声にならない呻きを発する。きっと目には火花が散っている状況だろう。
長い髪をさらに引っ張り、うずくまろうとしたインテグラの動きを阻止した怒りの表情がピークのマクスウェルに、「もう、それ以上は止めてくださいーーっ!!」と、ハインケルが大声を発する。
しかし耳に届いていないらしく、眉と眦を吊り上げて怒りの形相を顕わにしているマクスウェルは、さらにインテグラの頬を打ちすえようと手を振り上げた。
幾ら内勤とは言え、ヘルプも兼ねるホストの顔に傷をつけさせる訳にはいかない!と、ハインケルが実力行使でふたりを引き離そうとマクスウェルのジャケットに手を掛けようとした時だった。
「見えない部分に痣を作るのは構わんが、商売道具の顔に痕を残すのは関心せんな、マクスウェル。この坊主は私のヘルプ要員だ。見える場所に傷をつけてもらっては困る。」
このクラブのホストは割と身長が高いものが多いが、その中でも群を抜く体躯のあの男が、マクスウェルの振り上げた腕をぐいっと掴んだ。
掴まれた腕が折れんばかりの怪力に、マクスウェルの顔が歪む。
「おい、そっちの手を放せ」
インテグラの髪をむしるように掴んでいる手を放せ――と言っているらしい。
「――随分と遅い出勤だな、おいっ!ミーティングをサボって、今頃出勤してきた上に、私に命令かッ!?」
マクスウェルはこの男に対して、腹に秘めているどす黒いものがあるらしい。
この男の言う事に素直に耳を貸すのは癪らしかった。
「ほおう、随分とでかい口を利くな、マクスウェル。」
男は白蝋色した端整な顔に瞬く、ボルドー色にも見える茶色の瞳を残忍な色合いに染め、掴んでいた手の力をさらに強めた。
どこにそんな力があるのか?!以前、この男に骨を折られた男の二の舞になるのではないか?と、マクスウェルはその痛みに顔を歪める。
今までこの職場の中で起きた揉め事で、このトップに位置する男が絡んだ時の力ずくで押さえ込む暴力の顛末を何度も見てきたマクスウェルは顔を引きつらせる。
そしてそこでようやっと、インテグラの髪を不承不承手放したのだった。
マクスウェルの節ばった長い指が開かれ、室内の照明をきらきらと弾きながら、インテグラの髪がはらはらと零れる。
マクスウェルが手を放したのを確認した漆黒の男は、口の片方をニイッと皮肉気に引き上げた。
その秀麗な顔が爬虫類のように残酷に嗤うのを間近で見たマクスウェルとハインケルは思わず肌を粟立てるのだった。
「ハインケル、こいつの手当てをしてやれ。」
男は長身から長い手を伸ばし、マクスウェルの襟元を掴むとハインケルへひょいと投げつけた。
「こっちの坊やの怪我の具合は、私が確認する。」
ここのあらゆるバランスの頂点に立っている漆黒の男は、部屋の入り口にたむろしている男たちに向かってゆっくりとふり返り、冷酷とも残忍とも謂える冷たい嗤いを見せた。
さあ、闘争は終わりだ。皆、散れ。この部屋から出ろ―――地を這う犬のような低い声でそう冷たく告げた男の声に逆らうものは誰ひとりいようはずもなく・・・・・・
ハインケルに抱えられた思いのほかダメージがあったらしいマクスウェルが廊下に出た後、満潮の波に追い立てられる蟹の群れのように男たちがカサリカサリと引き上げはじめた。
事務室の扉がパタンと閉められる。
するとそこには、床にうずくまっている歳若い同僚を巨躯から睥睨する男と、その足元にしゃがんで後頭部をさすりながら小さく呻くインテグラの二人だけが残ったのだった。
つづく
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マクスウェルとグラさま、取っ組み合いの喧嘩w
管理人がやらせてみたかっただけと云う、そんな妄想。お嬢さま・・・痛い思いをすみませんm(__)m
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