ものずき 2
「お嬢さま、例の定期診断と検査について、少々難儀なことが持ち上がりました。恐れ入りますが、どうしてもお嬢さまの手をお借りせねば、事は収まらない気配でして・・・・・・」
昼食を終えたばかりの女主人の元に、大変申し訳なさそうに執事がやって来た。
「・・・・・・今回も駄々を捏ねているのか、アレは。」
ちょっと眉間にシワを寄せてそう訊いた女主人に、執事は「――はい。それも今までにないほど。」と感情を含ませぬ返事を返した。
「そうか・・・・・・相変わらず子供のようなやつだな。困ったものだ。」
そう言った女は席を立ち上がると、面を引き締めて食堂を出る。
その後を追うように執事も女主人に従ったのだった。
地下の実験室と云われる場所に、大層不機嫌な顔をした従僕が診察台の上に腰を掛けて、投げやりに長い脚を放って座っていた。
陽がまだ高い日中に「昼の検査」と称して起された吸血鬼は大層不機嫌で、入ってきた女主を見てもその射殺さんばかりの凶悪な面構えを崩さずにいた。
「――駄々を捏ねるな、従僕。ちょっと我慢すればすぐに終わるんだ。ウォルターにさせてやれ。」
インテグラが従僕を諌めるように言い、ウォルターに頷いてみせる。
すると執事は採血用の道具と、鋭利な刃を持ったナイフをトレイに乗せ、それを手に吸血鬼に近づこうとした。
しかしアーカードは、執事がリーチに足を踏み入れるや否や、その長い腕を武器のように打ち振るい、テリトリーへの侵入を無言のまま暴力で威嚇したのだった。
歳を取ったとは言え、元死神と呼ばれた男は軽い身のこなしで、その刃物よりも恐ろしい吸血鬼の凶刃を避け、するりと後退する。そして元死神と現役ゴミ処理屋は、一寸の間、無言で視線だけの攻防を繰り広げた。
視線の攻防を繰り広げた後、「はぁ・・・」と軽く溜息を吐き出したウォルターは、さらにもう一歩後退し、些か困った顔つきをして女主人を見たのだった。
不敵な恐ろしい面構えで乱杭歯を覗かせながら再び診察台に無言で座った従僕に、女主人は咎めた視線を投げかける。しかしアーカードは返事もせずにさらに赤い目を細めて肉食の獣のような目つきをしてみせただけなのだった。
今度はインテグラが、「ハァ~~」と長い溜息を吐き出した。
「あんまり手を煩わせるんじゃあないぞ、アーカード。ウォルターだって忙しいんだから」
そんな事を子供に言い聞かせるような口調で歳経た吸血鬼に言った女主人は、『しょうがないな・・・・・・』と云う顔をして、その実験室に置かれていた拘束具に手を伸ばしたのだった。
昔からこの男はそうだった。
身体中を詳しく検分され、血を採られ、切り刻まれ、回復までの状態や時間を検分されるその定期的な検診を、機関員が執り行っていたころから大嫌いで、よく職員の手を煩わせたものだった。
でも、考えれば気持ちも判らなくはない。
最狂とか最強とか謂われる吸血鬼が持つ自尊心や矜持は、やはりその保有する力に見合った桁外れの高さなのだ。只の人間だって、これはかなり抵抗があるだろうに、やはりそれはこの男には耐え難いものなのだろう。
いつも嫌がって職員を寄せ付けない吸血鬼に手を焼いた部下たちが、「局長、アーカード様の検診と検査についてなのですが・・・・・・」と結局泣きついて来ることは多かったのだ。
しかし、今回は、さらに深刻で、元同僚とも云うべき死神の男からそんなことをされるのは絶対に嫌だと頑として聞き入れない。
「ウォルターは駄目だ。この男を部屋から追い出せ、我が主。」
誇り高い化け物は断固として、それを拒否したのだった。
ヘルシング家の当主自らの手で戒めた化け物としばらくの押し問答の末、結局は執事を部屋から出し、その検査をインテグラ自らが行う約束をしてしまったのだった。
「あのなぁ・・・・・・私は採血って苦手なんだぞ。滅多にやる機会がないものを巧く出来るわけなんかないだろう?きっと痛いぞ・・・・・・泣いても知らんぞ。」
そう言って、ちょっとばかり情けない顔をした女に、吸血鬼は口の端をわずかばかり上げて、それは綺麗に微笑んだ。
「かまわん。異存などあるわけがなかろう。我が主であれば何をされても問題はない。」
何かこう・・・・・・清々しいまでの口ぶりでそう言った男を、眉根を寄せつつ見つめた女は、再び「はぁ~」と溜息をつくとアーカードを寝台に押し倒した。
そして、やはり気を変えて暴れだすといけないから――と、気まぐれな従僕を戒めたままで検査を始める。
シャツを捲り上げて白蝋色した腕を出すと、ああでもないこうでもない――とブツブツ言いながらインテグラは何とか男の手をチューブで縛り、その血を採ろうとしたのだった。
「うわっあ!!ごめん、ごめんな、アーカード。今の痛かっただろう?」
昔、この男の虫の居所が究極に悪かった時同じようなことがあったが、その時は職員に丁寧に手順を教えてもらって何とかこなしたのだった。だが、そんな作業を常にしているでもない女は、その手順を覚えている訳がない。
結局はサディスティックな趣味の持ち主のように、下僕にブスブスと針を刺してしまう。
何しろ、この前の惨劇で機関員が全滅の様相を示したヘルシングでは、今の彼女にそれを手際よく教えてくれる職員は居ないのだ。それにその手の心得が多少ある執事の入室も、吸血鬼によって拒否されていると来ている。
『これが本当の人間であったら大変なことになっているよな・・・・・・』
インテグラはさすがに額に汗を浮かべたが、それを見つめる従僕は静かに凪いだ無表情で、さっきはアレだけ不機嫌だったにも係わらず、今は大人しくベッドに横臥していた。
「ごめん。痛いよな、これじゃ・・・・・・ごめんね、アーカード。」
生真面目な性分の女はそんなことを優しく呟きながら作業をしていたが、その間の従僕はまるで愉しんででも居るかのように、目尻にわずかなシワを刻み、紅玉の目を瞬かせてインテグラを見つめているだけだった。
何回刺したか判らない腕はあちこちに血がこびりつき腫れていたが、それでも何とか採血を済ませた女は、額に浮いた嫌な汗をぬぐった。しかし、採られた方の男は、そんな悲惨な自分の身体を一瞥することなく、ただ黙ってその女主人を見つめている。
「アーカード、立って。」
このままベッドで男の胸に傷をつけると後の始末が大変なのを知っている女は、従僕をモルタル床に立たせた。
たぶん暴れることはないだろう・・・・・・と思ったが、この化け物はいつも突然予想出来ない行動をする。
歳経た化け物の男は、女にとって理解不能で予想不可能。
思いもしないときに突然不埒な振る舞いをして、淫猥な行為に雪崩れこもうとする時があるのだ。それはこの女にとって、「従僕が暴れる」ことよりももっと危険であることを意味していた。
地下室に、ふたりだけ。
雇い入れた傭兵隊と打ち合わせがあると言っていたウォルターは演習場に居るはずだから、助けはまず望めないだろう。
一応、昼の時分なので地下では女吸血鬼が睡眠を貪っている筈だが、万が一の時に「助けろ!」と要請しても、きっとこの偉大な吸血鬼の下僕である女は、師であるこの男から命令されればインテグラの命令には耳を塞ぎ、聴こえなかったふりをするずだ。
――危険だ。地下でふたりだけの時に、猛獣の鎖を解き放つなど、愚か過ぎる・・・・・・
今まで散々、化け物の陰湿で淫猥な手管で泣かせられてきた女は少しばかり学習したようで、そう結論を導き出すと、やはり魔術に造詣が深いといわれる己が仕掛けた制御を解くのは躊躇われ、そのまま男を鎖で繋いでおくことにした。
これが普通に人間を繋ぐための拘束具だったら、とっくにこの男はそれを簡単に千切って破壊していただろう。
それを押さえているのは、ヘルシング家当主の力量と能力であるのだ。
腕を戒める金具を天井から下がっていた鎖に繋ぎ、自由に腕を動かせない程度までそれを引き上げる。
それ以上鎖を引き上げると、吊り下げられる格好になってしまうので、さすがに憐れを感じた女主人は男の足がつく程度で器具の操作を調整すると、男の衣類へと指を伸ばす。
コートを肌蹴け、きつく結ばれていた真紅のリボンタイをシュルシュルと解く。
その長いタイは検査には邪魔だったのでテーブルに置き、次にジャケットのボタンを外し前を大きく肌蹴ると、女主人はさらに白いシャツへと手を掛けた。
インテグラは、意外ときついボタンを伸び上がるようにして、ひとつひとつ丁寧に外していく。
真っ白な血の気のない喉元は幾分筋張っているようにも感じるが、それはこの吸血鬼が持つ肩の広さに見合っていてとても優雅だった。
その均整の取れた優雅で美しい喉元が晒されると、次に形よく窪んだ男の鎖骨が現れる。
大きな肩に釣合ったその鎖骨は、男の胸板の上に優雅に羽根を広げる大鳥のように形作られていて、その青白い皮膚が窪んでライトで濃い陰影を浮かび上がらせる姿は、この男の持つ色香そのものだった。
この男の作る影には毒があるのだ。それも人を虜にする、甘くて中毒性のある猛毒なのだ。
それに触れた人間は気が狂ったようにこの男に魅入られて、理性を吹き飛ばさせ、自ら身を捧げて望んで捕囚となる。
それこそがこの「吸血鬼」の本性なのだ。
無表情を装って冷たい目つきでボタンを外しながら、吸血鬼の男が持つ躰の美しさに女主人は心の中ではぁっと重い溜息を吐き出す。
生きている人間にはありえない白さを浮かび上がられる肌は、死者の退廃をかもし出していて、そんな静寂を宿す死者の身体の何処にあれほどの情動と情欲が隠されているのか、インテグラには想像もつかない。
それは死者であるが故の枯渇であり、焼け付くほどの熱さを産む凍るような渇望なのだが、初心な女にはそれが何に起因するのか全く理解できないのだ。
インテグラは男のシャツのボタンを外し、ジャケットとシャツを肩口のギリギリまで押し広げるように、その衣類を肌蹴る。
暗さで他を圧倒していた夜の闇を、断固とした強い力で優しく押し広げて追いやる、水晶の如き光りを内包する薄紫の朝日にも似た清廉な女の手によって肌をあからさまに晒された男は、目を細めると弧にして美しく微笑み、その紅の瞳の中に恍惚としか呼べない狂気にも似た光を宿した。
戦うことに特化したような美しい肉体を誇る胸板はとても引き締まっていて硬く、それで居て優美なのだ。
なのにその優美さは退廃と狂気をやはり色濃く馴染ませていて、この男が戦狂いなのが透けて見える身体であることを物語っている。
あまりにも鍛えすぎて誇張されすぎている類の無駄すぎる肉付きとは違う、最小限で最大の暴力を生み出す効率美ともいえる躰。死人の物憂げさを湛えた膨大な狂気を振るう冷たい肉体を有する男。
いつも胸のどの辺りを傷つけて復活までの時間を計っているんだろう?――と、女は内心のどきまぎした気持ちを冷たい無表情で押し隠し、机に広げた資料に視線を飛ばしてから、手にしっかりと鋭い刃先を持つナイフを握る。
その添付された画像は、傷をつけるといった生易しいものではなく、まるでえぐるような傷の深さなのをみて、女は冷たい無表情をわずかに曇らせた。
いくら不死身とは言え、こんな過酷な検査をするのは、女の性には合わないらしい。
男の冷たすぎる青白い胸板にそっと優しく手のひらを押し当て、これから傷を刻む辺りを少し眉根を寄せながらインテグラは確認する。
その冷たい冷たい死人の胸を女がそおっと優しく撫でた時、男の起立した胸の頂きに意図せず指先が触れ、すると男はクツと喉の奥で喘ぐような・・・・・・呻くような・・・・・・、声にならない歓喜の甘い吐息のようなものを微かに漏らした。
地下を照らす蛍光灯だけが時折ジジジッと耳障りな音を立てる静寂の地下で、声にならないその吐息を耳に吹き込まれるように側で聴いた女は、自分でも驚くほど心音をとくりと跳ね上げて、思わず頭上にある男の顔を見上げる。
そこにあったのはもう性別すら超越した、男も女も等しく誑かされるような人外の美しさを湛える妖艶な魔物の顔だった。
秀麗な面差しの口元は少し引き上げられ、わずかに乱杭歯が覗き、その美しい鼻梁から続く柳眉は秀逸な弧を描いていた。
そして、女主人を見下ろす目はまるで紅蓮の炎のような、暗いのに赤々とした目に焼きつく赫。
そんな人外の魔物の美しさには誑かされない気丈な女の硬質な青の目と、しかし少し赤らんだ頬を見て、アーカードはニタリと、妖しく淫らさを含んだ嗤いを漏らした。
そして両腕を吊り上げられている鎖をカチャリとならして身を出来るだけ屈めると、インテグラの蜂蜜色した温かい耳元に、冷たい唇を近づけた。
「―――我が主。・・・・・・インテグラ。」
唯、それだけだったのに――この男が紡いだ言葉は、唯、自分の主人を呼ぶだけのものだったのに。
なのにその男の凍えたような低い声には、冷たい中に焦燥感を漂わせる淫猥さが含まれていて――その名を呼ぶ声には、何かを求め、何かを授けて欲しいとでも言わんばかりの、飢えながら乞う思いが隠されていたのだった。
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まずはここら辺で、「その2」は終わり~
やだなぁ・・・・・・この旦那は、きっとドMでドSな明らかな変態さんっぽい気がする。
きっと続きはここには載せられないだろうなぁ・・・・と(苦笑)
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