針小棒大
どこにでも居られる吸血鬼が選んだ己の「居る」場所は、やはり愛しい主人の側であり、恋しい下僕の側でもあった。
30年ぶりに会合した主人は、美しいブルーダイヤの瞳を隻眼にして、その顔にも手の平にも深いシワを刻みつつあったが、これこそが人間の素晴らしさだと思える、歳を経た今だからこそ作り出せる馨しい芳醇を醸しだしていた。
吸血鬼がここ数週間屋敷の中をうろついて分かった事は、自分の女主人は銃後のような忙しさではなくとも相変わらず忙しい身で、そうでありながらこのロンドンに住む、「後継」に値するとみなした若造たちに剣戟の稽古や、化け物を狩る心得などを教示する時間を割いているということだった。
今日は屋敷で稽古だ、明日は陸軍の少佐と会食だ、やれ明後日は警察幹部と会合だと、毎日何かしら予定が入っている上、茶会や夜会に顔を出すことが億劫だった以前とは違い、そんな催しにも必要と思えば、それなりに顔を出して「淑女」を取り繕うことを、主人は覚えたようだった。
なのに、女主人はそんな忙しい合間にも、乗馬や剣の稽古は欠かすことがない。
歳を経たことで得た知識と懐の深さに、その歳には見合わないほどのしなやかな身体を持つ主人は、昔以上に吸血鬼を魅了して止まないのであった。
そんな歳経た魔物を魅了する女主人は、やはり人間の目から見ても魅力的であるようで、剣戟の稽古の後や軍幹部との会食の後に蜂蜜色の温かい手を握られて好意や思慕の情を・・・・・・あるいはあからさまに褥を共にしたいと迫る輩(やから)を見るたびに、元々我慢することなど大嫌いな化け物は、その異形を現わして牙を剥いてその相手を威嚇するという、後に女主人から厳しく叱咤される事件を度々起こすことになるのだった。
いつだったかの夜、警察上層部の若造・・・・・・いや、人間から見れば貫禄のある壮年の男だったが、アーカードから見れば単なる青二才が、愛しい女主人のあの美しい腰に腕を回し、女主人を自分の屋敷に誘おうと甘い言葉をヘルシング卿の耳元に囁いていた時だった。
柔かくて温かい耳たぶに触れるほど唇を寄せ、あの美しい腰と臀部の辺りに「破廉恥」一歩手前で手を添えて、自分の屋敷に女を誘う男の姿にぶち切れた飼い犬は、その秀麗な顔の瞳を地獄の釜を焼く劫火の如き恐ろしい色に染め上げて、人ではありない恐ろしげな姿で立ち現れた。
獰猛に唇を捲り上げて牙を剥き、低く唸るように咆え、懐から大口径の銃を取り出し、口を耳まで裂いた冷たい笑いで相手をいたぶるという、やはり女主人から叱責を受ける番犬の域を逸脱した行為を、その日アーカードは行ったのだった。
「あのなぁ―――何度言ったら解るんだ、お前は?あんな風に失禁して失神するような自尊心を叩き潰すような無様な目にあわせたら、後で色々と拙いことになるだろうが、まったく。
何だってお前はそんななんだ。何でそんなにイライラとしている?お前は一体何を考えているんだ、馬鹿ものが。」
従僕に厳しい叱責と法儀礼済みの弾丸を食らわせて、相手に頭を垂れて謝罪して場を辞したインテグラは、屋敷に帰ってきたあと、聞き分けのない番犬を執務室のドアの前で見上げて、ハァ~~~と盛大に溜息をついてそう言った。
女から見れば、本当に手が負えない、扱い難いことこの上ない番犬なのだ。
だがその時、相変わらず男の情緒など一切解さない主人のそんな言葉と溜息が、アーカードの鼓動を刻まぬ冷たい心臓を、ピアノ線でギチギチと縛り上げるような苦悩をもたらしたらしかった。
「何を考えているのだ?」と、呆れて困惑したように言った女の言葉は、アーカードに意を決する切欠を与えたようだった。
「何故、私がこんな風だと?何故こんなにイライラとしているのかだとっ?お前はそんなことも解らんのか?!その歳になってもそんなに鈍臭い――超絶に鈍い女のせいで、私はこんななのだ!―――しかしその鈍さがお前の処女を守る砦でもあったのだろうがな。」
そう低い声で言ったアーカードは、皮肉そのものな笑いを口元に浮かべる。
何か棘のあるものを唇に引っ掛けた時のように、その唇の片側は吊り上がって捲れ、鋭い乱杭歯が覗いた皮肉な笑いは、見るものを震撼させる恐ろしさと冷酷さを秘めていた。
そんな今までにない残忍さを秀麗な面差しで隠した吸血鬼の笑いを見て、さすがのインテグラも眉根を寄せる。
「男の好意や思慕を察することも出来ぬ、男の欲望にも考えが及ばぬ女には、実習が必要であろう。
――お前は少し学ばねばならん。芳醇で麗しく醸されたとは言え、お前には確実に、絶対に、明らかに、あるものが欠けている。それを誰も教えてやれんのだったら、私が教えるまでだ。歳経て手馴れた魔物が直に教示してやるのだ、ありがたく思え、我が主。」
そんな事をクツクツと低く笑いながら言った吸血鬼は、インテグラの腕を掴むとその身体をずるずる引き摺って、女主人の部屋に向かって歩き出す。
終いには嫌がる女主人の肩を抱きかかえ、これ以上ない冷えた笑いに淫猥なものを隠し、吸血鬼は足音も立てずに足早に女の部屋に向かうのだった。
「―――何、逆切れしてんだよ、アーカード。虫の居所が悪いのか?それとも腹が減ったとか?あれか、闘争したいのに相手がいなくて持て余してるとか?」
おい、そんなに強く抱くなよ、痛いじゃないか。何を教えるって云うんだ、この馬鹿者!―――そんな文句を言いながら、何がなんだか訳がわからんと言う顔で部屋までずるずると引き摺られてきた女主人は、さすがに男が寝台の天蓋の襞を音高く開けたときに、ようやく事情を推測したのだった。
「お、おっ、お前は、何を考えてる?!私はもうおばあちゃんだぞ?!冗談も大概にしろよ!!
こんなに歳を食ってから魔物にベッドで蹂躙されるなんぞ、私は真っ平だぞ!!わっ、私は処女なんだぞ。いきなりこんなことを魔物からされたら、心臓麻痺で死んでしまうに決まってる!・・・・・・と言うか、何で私なんだ?そもそも、こんな歳食った女に欲情なんて出来るのか、お前は?!」
従僕が実地で教えてやろうというその行為にこの歳まで全く無縁で・・・・・・いや、確かにそんないい関係になりそうな相手は何回か巡り会ったが、結局は無縁で来た女は、最近滅多に見せたことがなかった相当に慌てた顔をして、顔から血の気を引く。
そんな全力で抵抗を試みはじめた愛しい女主人を軽々と抱き上げて、大きなベッドに放り投げた吸血鬼は、相手がベッドから匍匐前進で逃れる前にその身体を死者の巨躯で押さえ込んで封じ込めた。
「心配ない。お前はすこぶる元気で丈夫な女だ。その歳で初めてで、その上相手が絶倫と噂される魔物でも、お前なら何も問題はない。
それにだ―――私がそんなに惨いことを、自分の主人にすると思うのかね、お嬢さん。何も心配はいらぬ。」
その吸血鬼の顔はあまりにも端整で、相手の女を蕩けさせるような美しさだったが、その赤い目に浮かんでいるのは冷酷さと残忍さが入り混じった魔物の本性そのもので、淫猥な悪魔のようなその顔を見たインテグラは頬を引きつらせて思わずゴクリと唾を飲み込む。
その瞬く紅の瞳と目じりに寄せられたシワが物語っているのは、どう見たって今までの鬱憤を晴らす気マンマンな、一晩中かかって「惨い」ことを女の躰に刻みつけ、己の事を忘れられないほど嬲ってやろうと言う、これ以上はない魔物の妖しい冷酷な笑みだった。
「おい、こら!!やめろってばーーー!こんなのイヤだって!!今更なんで魔物と、こんな事しなきゃいかんのだ~~助けろ、セラス~~っ、聴こえてるんだろ、助けてくれ!!」
女主人に馬乗りになってて服を裂きに掛かった、もう誰にも止められない暴走した魔物に冷や汗を流しつつ、必死に女吸血鬼に助けを叫んだインテグラだったが、何故かその晩の女吸血鬼は、主人のSOSに応えてくれることはなかったのだった。
つづく(おいっ?!)
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今日はこんなところで・・・
おやすみなさい
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