クロイツェル・ソナタ その12
今夜帰ったら父に電話して、色々と相談しなければならんだろうな・・・・・・そんな事を考えながら、彼女は憮然とした顔でタクシーに乗っていた。
正直、もはや憮然と云うより不機嫌に近い顔のインテグラの隣には、彼女が嫌う――と言うよりは、今現在、彼女の胸の中のモヤモヤとした黒い部分の半分を占めているあの男が悠々と、優雅に座っていた。
今宵はこの客の入りだったら内勤だけで済むだろう――インテグラはそう考えていたのだが、思いがけず途中からこの男のヘルプをする羽目に陥ってしまったのだ。
「ヘルプを頼んだ同僚は、無事に帰るまで面倒を見るのが筋であろう?それにお前の本業は、学生らしいからな。」
そう言った傲慢な王様に有無を言わさずタクシーに押し込まれた彼女は、こうやって憮然とせざるをえない状況に陥ったのだった。
何か華やかな舞台公演でもあったのか、夜の観劇を終えた御婦人方が次々と遅めの来店をし、思いがけず店が混みはじめた時、その水面下の騒動は起こった。
和解してやった新人に、売り上げのお裾分けしてやろうとでも思ったのだろう。突然マクスウェルのヘルプに入るようにハインケルから耳打ちされたインテグラは、きょとんとした顔をして彼を見上げた。
「・・・・・・冗談だろ、ハインケル?彼が――マクスウェルが、私にヘルプを頼みたいだって?」
家を訪ねてお互い謝罪しあったとは言え、色々と反目していたそりが合わない相手から、いきなりヘルプを頼まれるとはインテグラは思ってもいなかったのだ。
「冗談なんて言うわけ無いよ。マクスウェルが今夜は君にヘルプを頼みたいそうだ。」
「・・・・・・いや、だって今まで私は彼のヘルプなんかしたことが無いし。やっぱりマクスウェルのヘルプは遠慮するよ。――ほら、私は粗忽者だし・・・・・・」
色々と言い訳をする気が進まないらしいインテグラを無理にでも席に着かせようと、ハインケルが彼女の腕をつかんで店に引っ張り出したときだった。
「ここに来い、インテグラ。座れ。」
店内に姿を現したのを目ざとく見つけた王様が、直々にインテグラの名を呼んだ。
鼓膜を滑らかに震わせる低いのに良く通る声は、ざわついていた店の中でも何故かよく響く。
口元は微笑を浮かべているのに、王様の目は冷え冷えとした冷徹なもので、その残酷そうな目に射すくめられたハインケルは、マクスウェルの席に引っ張って行こうとした足をさすがに止めるしかなかった。
座っている威風堂々とした王様とは対照的な、華奢と言っていい肢体と中性的な容姿を持つ初々しいインテグラを見たマダムたちは、喜んでコロコロと楽しげな笑い声を上げ、「早くこちらにいらっしゃいな」と口々に王様の席に座るよう、インテグラを呼ぶ。
これは困った事になった――― ハインケルとインテグラは顔を見合わせた。
すると今度は「―――ハインケル!」と声をかけたマクスウェルが、インテグラを早くこっちに連れて来いと彼に目配せをする。
再びインテグラとハインケルは、同じように眉根を寄せて、無言で顔を見合わせた。
「・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・」
「何をやってる、あまり待たせるな、インテグラ。」 「ハインケル、待たせるんじゃない。」
そんな無言で突っ立ったままの二人に、王様とマクスウェルの声が掛かったのは、ほぼ同時だった。
すると意を決したハインケルが見事な営業スマイルを作り、マクスウェルの席へ軽く手を上げた。
「はーい、ただいま、マクスウェル。今、参ります!」
どうやら今日は珍しく内勤を放棄して、ハインケルは接客にあたる気らしい。
ハインケルはジャケットとシャツの襟元を整えながらインテグラにそっと耳打ちをした。
「――王様から睨まれても、取り成しようが私には判らないからね。インテグラ、君にはあっちに入ってもらうよ。」
そう言ってインテグラに目配せした彼は、颯爽とマクスウェルの席に向かう。
彼を呼んだのではないのに、ハインケルが席に来てしまったマクスウェルは器用に片眉をはね上げて少々驚いた顔をしたが、普段は会計や各テーブルのホストの御用聞きに歩くだけの男が席に着いたのを見て、マクスウェルの席ではマダムたちが盛り上がりを見せていた。
その喧騒を他所に、マクスウェルが片眉を上げたまま、忌々しそうに傲慢な王様を睨む。
だが、冷徹なボルドーの瞳を細めて、突き刺すような視線で睨み返してきた漆黒の男に、マクスウェルはぷいっと目をそらした。
王様の凍えるような人の道理が通じない爬虫類の目つきは、効果絶大らしい。
――どっちもどっちだが・・・・・・できれば、この男は避けたかったっ!!
ハインケルから王様に売り渡されたインテグラは、どの女も綺麗だ美しいと誉めそやす手入れされた艶やかなプラチナブロンドの髪を眩いばかりにライトに煌かせて、王様の席に着く。
月の雫のようなその長い髪がすぐ側で瞬くのを見て、典雅に席に座っていた王様は口元に艶やかで冷ややかな微笑を作った。
男とも女とも言いがたい中性的で端整な容貌のインテグラに、マダムたちは嬉しそうに目元を綻ばせる。
最近板についてきた、清廉なのにどこか冷ややかな影を含む営業スマイルを返したインテグラは、勧められるままにグラスを取って、世の全てに飽いている豪奢なマダムたちを喜ばせるのだった。
筋なんか通さなくてもいい、自分で帰るから私にかまうなっ!――そう言っても、何故かこの男はいつもこうやってヘルプをしてもらった夜はインテグラを律儀に家に送るのだ。
常識はないくせに、変なところは真面目なのか、それとも何かしら自分で決めたルールでもあるのか・・・・・・正直、インテグラにとっては迷惑千万だった。
この前の出来事は今だ鮮明に彼女の脳裏に鮮明に焼きついていて、とてもこの男の側では心が休まるどころではない。しかし、この男の動向を探るには、確かにこれはいい機会でもあった。
インテグラはこれ見よがしに溜息をつくと、出来るだけ離れて座席の隅に身体を寄せ、男を目の端で窺った。
こんなだからヘルプをするのはイヤなんだ!――という露骨な態度にも関わらず、隣に長い脚を組んで優雅に座る王様は、一向に気に留める様子も無い。
そしてそんな憮然とした同僚の肩でも抱きかかえようとしたのか・・・・・・男は厚かましくも、長い片腕をインテグラに伸ばす。だが、あらゆる女や時には男も魅了するその誘いを、インテグラは無下に叩き落したのだった。
「――触るなっ!この変態野郎っ!」
インテグラが怒れる猫のように、鼻の頭に皺を寄せ低く小さい声で威嚇した。
「何と冷たいやつだ。それとも照れているのか?はたまた、単にまだ――子供なだけなのかも知れぬな。」
男は暗い室内でくつりと笑ったようだった。
空気を低く震わせる笑い声がインテグラの鼓膜を震わせる。
この男の喉の奥で笑う声は、低いのに耳を犯すような艶やかで滑らかなビロードの手触りがする。インテグラはそんな男の笑い声を聴くたびに、どうにも落ち着かなくなり、そんな落ち着きをなくした自分に苛立ちを隠せなくなるのだ。
「マンションの前でいいからなっ!私を下ろしたらすぐに帰れよっ!」
そう唸るように言うインテグラに、男は洒脱に肩を竦めた。
「お前にだったらお持ち帰りされても私は一向に構わんのだがなぁ。広い部屋でひとり寝は寂しかろうに。私が泊まってやってもいいんだぞ、インテグラ。寂しくないよう一晩中慰めてやる。」
――お前みたいなデカくて食えない胡散臭いもんを誰がテイクアウトするか、馬鹿!時限爆弾なみの危険物だぞアンタは!絶対に持ち帰りなんぞするものかっ!!
インテグラは鼻の頭にシワを寄せ、威嚇する猫科の獣のように唸り、「――余計なお世話だ。」と、男に冷たく返した。
全く色気のない敵意むき出しの意中の相手を見て、男は片頬を上げ皮肉な微笑を作ったのだが、車内の暗さではそんな男の妖しい微笑は、インテグラには見えないのだった。
今日は車内でインテグラを見送った男に背を向けたインテグラは、肩を怒らせマンションに向けて大股で歩き出す。
最近の流行なのか、白樺や桂の木が自然の造形を作り出すように無造作に植えられ、足元灯が適度な明るさと感覚で灯されているあくまでの人口的なアプローチの小径を抜け切ろうとした時に、インテグラはそのベンチに座る女と、その顔から注がれる魔がしい視線に気がついた。
安全な区画とは言え、こんな時間に女ひとり、街灯が仄暗く届くだけのベンチに腰を掛けている光景は、あまりにも怪しく、インテグラはその異様さと人に害意を含むその目に、ひたと足を止めた。
すると女は立ち上がり、ニイッと笑う。
それは冷たくて毒を含んだ、悪意ある嗤いだった。
その顔は―――昼、マクスウェルのマンションですれ違った女、あの店の常連の女だった。
しかし、その姿は人にはあらず。
血塗られた赤の目も、ニイッと笑った口元から覗く太くて鋭い乱杭歯も。
豊満な肢体を強調する胸元が大きく開いたカシュクールの膝丈のドレスからは、死人としか言いようのない青白い色した肌が覗き、それは白々とした街灯に深海の魚のようにぬるりと光って生気のない色彩を放っていた。
その魔がしい姿は、インテグラが――ヘルシングが倒すべき、あの一族に間違いなかった。
何故、ここに居るのか。何をしにここに来たのか。
こうなれば、インテグラにとってそんなことは何の問題にもならない。
彼女の責務は、唯ひとつ。見敵必殺。
人を捕食する化け物を殲滅すことが、ヘルシングに生まれた彼女の責務なのであった。
つづく
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さて・・・そろそろ終盤。
載せる予定だった話があまりにも長かったため、今回はそれを2つに区切って前半部分をアップロード。
続きはまた来週を予定しておりますm(__)m
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